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What is Lindyhop

”言語も全く通じない、初めて会った知らない人。そんな人とすぐに仲良くなれる魔法のようなもの” 

それがリンディホップの一つの魅力です。

 リンディホップは1920年代後半から1930年代後半にかけてニューヨークはマンハッタンのハーレムで誕生・成熟したエネルギッシュなペアダンスです。それまでアメリカ各地で踊られていたペアダンス(テキサストミー、チャールストン、アパシェなど)が融合し、ブレイクアウェイというリンディホップの原型が生まれたのが1920年代後半の事です。ニューヨークはハーレムにあるサボイボールルームは広さがなんと300坪(体育館一個分)、最大で4000人まで収容できるほどの大きさがあり、毎晩のようにスウィングジャズバンドの生演奏でダンサーが踊り狂っていたそうです。そこで沢山のアフリカ系アメリカ人ダンサー達が互いの技を競い合うようにして変化をとげていき、完成したのが”Lindy Hop(リンディホップ)”です。中でもエアリアルと呼ばれる空中へパートナーを投げてキャッチする大技はリンディホップならではとも言えます。

 ベニーグッドマン、チックウェッブ、カウントベイシーなどのビッグバンドスウィングに合わせてLead(リード)が動きを決め、Follow(フォロー)が感じ取って合わせることで、「音楽+リード+フォロー」が一体となって一つのアートをその場で作り上げていきます。大抵のパーティーではダンスパートナーは曲毎にその場で誘って決めるため、特定のダンスパートナーは必要ではなく、人によっては一回のパーティーで50人以上の人と踊ることも少なくありません。中にはリンディホップについて、「音楽とダンスパートナーとの3分間の恋」と表現する人がいるのも頷けます。

 スウィングジャズの誕生とも言えるパロマボールルームでのベニーグッドマン楽団の1935年のライブをきっかけに、何日間も続く競技会やハリウッド映画への出演・パフォーマンスグループの世界ツアーなどアメリカを中心に世界は空前のスウィングジャズとダンスブームを迎えることとなります。しかし第二次世界大戦、ディスコブームなどの影響もあり一時はほとんど踊られなくなってしまいました。しかし、1990年代にスウェーデンの若者が偶然テレビで見かけた昔のハリウッド映画を頼りに当時のダンサーに連絡を取ったことをキッカケとして、現代に復活させたのがスウィングリバイバルと呼ばれる第二のブームが到来する事となります。そのブームがきっかけとなり、現在では世界中のほとんどの都市でローカルのダンスコミュニティが誕生し、旅先で全く知らない人達とリンディホップを通じて友達になれるという最高のコミュニケーションツールとしての側面をも持ち合わせる事となりました。スウィングダンスリバイバルの本場スウェーデンでは、毎年夏になると(コロナ流行前は)1ヶ月もの間ずっと山奥の村を貸し切って朝から晩までパーティーを開催しています。そこには世界中のダンサーが参加し、文字通り友達100人(以上)を作って帰っていくダンサーも沢山いるとのことで、まさに現代におけるリンディホップの醍醐味の一つの良い例です。

​文責 ミヤジマタイガ(Taiga & Asuka)

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